現在は、いわき市のアパートで三人で暮らしています。


柑那 三歳の誕生日

2012年9月8日 柑那の誕生日


 2011年3月11日の大震災から一年半が経とうとしてます。私は、あの大津波で祖父と当時一歳半の一人娘をなくしました。娘は未だに行方不明です(;>_<;)。私の住んでる地区は壊滅状態!もちろん住んでた家はありません。それと原発事故による避難!!
 時が経つのは早いものですね・・・。娘の人生と同じ時が経ちます。
 あの時、なぜ船を守ったのか?なぜ家族を守れなかったのか?悔やんだ時もありました。今もあの時の行動が正しかったのかはわかりません。ただ、あの時船を捨てていたら、それはそれで悔やんでいたと思います。正直,
何もかもが嫌になり、海のない所に移り住もうかとも考えたこともありました。
 私の家族は、祖父の代から海に生かされてきました。海に大切なものを奪われましたが、「海を恨んではいけない、海は悪くない」と思い、自分も海に生かされてきたのだからと・・・。
 時が経つにつれ、「自分はこれから何をして行けばいいのだろ?どんな仕事をすればいいのだろ?」と悩みました。でも、海のガレキ撤去の仕事やサンプル調査などで船の操縦席にいると、やっぱりこの場所が落ち着く自分がいるのです。それに命懸けで守った船、お客さんからの期待の声や、お客さんの喜んだ顔を思い出すと、「また釣船がやりたい、復活したい」と思うようになりました。
 妻の気持ちは複雑だと思いますが、理解してくれました。妻も津波に飲み込まれ奇跡的に助かりました!一ヶ月間肺炎で入院はしましたが、無事回復しました。妻が助かったことが、自分にとってなによりの救いでした。
 この大震災でたくさんの人達が、辛い経験をしました。そのかわり大事なことをたくさん学んだと思います。自分達も辛い経験はしたけれども、一度たりとも自分が不幸だと思ったことはありません!
 これから乗り越えなければいけない事はたくさんあると思います!?私は負けません!(^^)!どれくらいの時がかかるかわかりませんが、またお客さんの笑顔が見たいので、気愛でガンバリます\(*⌒0⌒)♪

追伸 2012年1月1日に次女が誕生しました!名前は那歩(なほ) この子の誕生は、私達みんなを救ってくれました。みんなを笑顔にしてくれました(^O^) 生まれてきてくれてありがとう(=^0^=) 妻には那歩を産んでくれてありがとうm(__)m

これから福島は良くなります!良くなるしかない!!世界一の福島になりますo(^▽^)o